ネットから学ぶコンタクトの基本
シャルル・ボネ症候群では、見える物体をはじめから真のものとは思っておらず、その幻視を愉しむ人すらいます。
しかし、レビー小体型認知症で出現する場合には、多くはその幻を真実と思い、あるいは怖れます。ただし時には、何らかの形で確かめて、やっと幻だと納得するということもあるようです。
ここに、同じ幻視でも、質的な、さらには成り立ちの差異があるものと考えられます。真の複視とは、左右眼で見たものを脳でひとつにまとめられないために、左右眼からの像が別々に見えてしまう現象です。
乳幼児期に生ずる斜視では原則として複視は自覚しませんので、もし病気や事故で複視が生じれば後天的斜視が起こったことになります。これも、ひとりで移動したり、いつも身体で「表現」される心の不調通りの生活が難しくなるにも関わらず、日本の基準ですと、視覚障害として認定されません。
誠に遺憾なことであり、早急な対応が求められます。プリズム眼鏡で人工的に複視を作ったら、これがどのような状況か誰でも体験できます。
「これで生活してみなさい」と言えば、とてもできるものではありません。にもかかわらず、視覚障害の基準が机上で作られると、実感とはかけはなれた、誠にちんけなルールができてしまうのです。
さて、二重視まではこのように眼球で説明できますが、三重視以上の多重視となると眼球の病気としては説明できません。このような訴えは極めてまれで、色が変色して見える色視症、赤色視などの現象とともに、脳で起こる幻視の一部と考えられます。
ここから、やや専門的になります。精神医学の世界共通の比較的新しい分類でいう身体表現性障害という大きなくくりは、無意識の心理的要因が発症の背景にあり、次のように下位分類されています。
身体化障害(さまざまな身体疾患に類似の症状が出る)、転換性障害(無意識の心理的要因が単一の身体症状、感覚症状に転換される)ということになります。身体表現性障害の中で、眼科で比較的よくみられるのが「嬉痛性障害」ですが、まだ一般の眼科医には認識が薄いと思われます。
眼科外来で多くみられる癌痛性障害は、眼や眼の周囲に痛みや異物感、異常感があるが、それを十分説明できる眼科的所見がないものです。痛みは恒常的で、その人の日常生活にも相当な影響を与えています。
仕事を続けることができなくなってしまった人もいます。しかし、原因は薬物の副作用ではありません。
抑うつ感はあるとしてもうつ病の定義に合わないものです。本来のうつ病は体質や遺伝によるものだけをいうと考えられていたつい十数年前までは、癌痛性障害で抑うつ感を伴う場合に、心因性うつ病(体質でなく心理的葛藤が原因で出現するうつ症状あるいは神経性うつ病)や、軽症のうつ病などと診断されていた可能性もあります。
今日では、うつ病は体質、遺伝、心理的要素など原因によらず事実上どれがどれだけ関っているかを判定することは不可能、症状から定義する分類が提唱され、世界共通の定義になってからは、そのような言い方は次第にされなくなりました。痕痛性障害は、当然のことながら、目薬をいくらさしても良くなりませんし、痛み止めもほとんど効きません。
診断が間違っていると治療も適切でなく、患者さんの辛さは募るばかりで、そのために抑うつ感もますます強まってゆきます。眼の症状で抗うつ薬?とびっくりする人もいますが、ある種の抗うつ薬をうまく利用することで、私の外来では17%が改善しています。
抗うつ薬を利用しながら会社に復帰できた人も少なくありません。また、治れば抗うつ薬を減量、中止して、もとの健康な生活に戻れる可能性もあるわけです。
ただ、それでもうまく改善させることができない難治例も少数あり、この場合は精神科医など他科の専門家に相談したり、治療を依頼することにしています。眼科医がいきなり「精神科へ行け」と言っても、眼の症状で病院に来ているのですから、患者さんには大きな抵抗があります。
しかし、眼科医としてきちんと努力した上で、精神科へ依頼したいと言えば、それを断ったり、抵抗を示す患者さんは滅多にいないものです。認知症は、神経内科、精神科に留まらず、あらゆる科と関係する加齢に伴う問題です。
アルツハイマー病、脳血管障害、パーキンソン症候群や薬物性などいろいろな場合があります。そうしたものの中には、眼の症状や、視力低下を訴えて眼科を訪れる例もあります。
表面上は眼や視覚の症状であっても、実は心理的問題を考慮に入れてゆかないと、患者さんの不自由さ、辛さ、苦しみの全貌が見えてこないもの、また適切な治療や指導ができないものが少なからずあることが、本章にとりあげた病気や症状からおわかりいただけたのではないでしょうか。ただ、そういう視点を持って診療する眼科医は、まだまだ残念ながら少ないと思います。
しかし、私たちが「心療眼科研究会」を立ち上げて5年目ですが、眼科医の関心は年々高まっています。そういう先生方の共通点は、患者さんのお話をじっくり聞くことです。
詳しく聞いていれば、心理的側面を考えざるを得なくなるはずです。ですから、患者さんが、眼科医はよほど重篤な認知症でないとそれと気付かず、視力検査や視野検査で信頼できない、あるいは理屈に合わない結果が出ても、その原因がわからないままで過ごしてしまうこともあるようです。
視野検査などの読み違いは、緑内障、網膜症などと誤診してしまう可能性さえあるのです。認知症と眼科の関係は、これからもっと研究を進めていかなければならない領域のひとつです。
つまり、眼や視機能の異常を持った患者さんが、なにを要求するのかを現場で示さないと、医師のほうも古典的な診断治療だけで通用すると思ってしまいます。このことを含めて、患者と医師が病気とどうつきあったらいいのか、次で考察してみたいと思います。
ほとんどの方は眼のありがたみなど、普段は全く感じないでしょう。眼は見えて当たり前だと思っているからです。
もし眼に小さなゴミが入れば、それだけで眼の快適さは失われます。片眼に眼帯をするような事態になれば、遠近感や深さを測る機能を失い、これも一気に快適さが失われます。
そんな時、今まで意識することなく普通に見えていたことにどんなにか「ありがたみ」を感ずることでしょう。ゴミも眼帯も一時的だと思うから何とか我慢できますが、もしそれがずっと続くものだとしたら、もう絶望的な気分になるでしょう。
眼球やその周囲に病変が生じて、恒常的に不都合、不快な状態が続くということは、そういうことなのです。身体のどこの病気でも同じですが、眼の病気も治せるものと、治せないものがあります。
治せる、と言うと、もとの快適な状態に戻ることを連想しますが、医学で言う「治癒」とは病気がこれ以上進まない固定した状態も指すのです。治せる(あるいは自然に治る)ものの代表は、ウイルス性結膜炎や細菌性結膜炎などの急性感染性疾患です。
それに、手術によって改善させられる霞粒腫(ものもらいの一種)や白内障、黄斑円孔などがその仲間です。しかし、他の大多数の疾患は、手術をしても後遣障害が残りますし、病変が慢性的に存在して、進行を遅らせるようにするのが医学の役目である疾患も多いのです。
後者に属する慢性病としては緑内障、加齢黄斑変性、糖尿病網膜症、ぶどう膜炎といった疾患が挙げられます。
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